2021年01月28日
読まれるブログであり続けるために④<深さ>:
今回が、シリーズ最終回です。
前回は、読まれ続けるためには、「奥行きが必要だ」という話をしました。
自身が成長し、それをブログにフィードバックすることが必要だ、と。
今回の「深さ」とは、、、。
その人が、なぜ、ブログを書いているのか、という根源的なものです。
こちらのブログで、「コア」と呼んで何度か紹介させていただいたものです。
あなたは、「なぜ」ブログを書いているのでしょうか。
単なるメモ書きにとどめず、不特定多数に発信するということは、そこに込めたい「思い」があるはず。
「哲学」と言っても良いでしょうか。
例えば、ある釣り場についての釣行記や状況をブログに記している人。
こういう人は、「自分が楽しんでいるこの釣りの楽しさを、他の人にも味わってもらいたい。共有したい」と考えているのでしょう。
トーナメントの様子などをお伝えするブログも、同様でしょうか(困ったことに、私はその楽しさを全く理解できない)。
新ジャンルのブログなども、「こうしたら、もっと楽しめるんじゃないか?」という提案として考えても良いのかもしれませんね。
この「コア」が弱いと、読み手にも熱が伝わらないですし、内容も「浅い」ものになり、長く支持を受けることが出来ません。
何より、「熱」がこもらないので、本人が面白く無くなってしまいます。
だから、ちょっと嫌なことがあったり、批判されたりすると、嫌になってやめてしまう。
私をみてくださいよ。笑。
どれだけ叩かれたことか、、、(すごいですね、応援してます。とコメントもらったことがあります)。
ちょっと視点を変えて。
ブロガーは、なぜ、自分の貴重な時間とお金と労力を割いて、記事を延々と書き続けるのでしょうが(利益目的のブログもありますが、私のはそうではありません。いや、利益目的でも、あまり割に合うビジネスではないように思う)。
それは、「読者様の期待に応えたい」という一心ではないかと思います。
さて。
皆様は、なぜ、今、こうして私のブログを読むことが出来るのでしょうか。
皆様は、一人残らず、昔は「赤ちゃん」だったのです。
一人では、ご飯を食べることも、排泄することもできなかった。
そんなみなさんが、今いっぱしの人として存在しているのは、、、。
親御さんが、愛情をかけて育ててくれたからですよ。
赤ん坊の頃は、親の愛情がなければ生きていけません。
食事や排泄、その他諸々の世話、という直接的な意味だけでなく、「愛」がなければ生きていかれないのです。
親(その他保護者)の抱擁が足りない子は、それが原因で死ぬこともある、という説もあるのです。
人は、子供の頃に受けられなかった愛情を求めて一生を過ごすという説もあります。
つまり、人は本能的に「愛」を求め、それに応えるようにできているんですよ。
皆様が、私のブログを読んでくれるということは、大きな愛情表現で、私はその愛に一生懸命に答えている。
つまり、ブログを発信し、それを読むという行為は、愛の交流なのです。
つまり、ココは、「愛の交流」の場なんですよ。
その「愛」がどんな形になっているのか。
それは、あなたの「哲学」にかかっているのです。
「愛の反対は、憎しみではない。『無関心』だ」と言ったのは、マザーテレサだったか。
あるブログに対して、辛辣な批判を寄せる人も、愛の変化球を投げているのかも知れませんね。
その変化が激しすぎると、きっと相手は受けきれないと思いますが、、、。笑。
そんな「愛の交流」の場も、もうすぐ閉じようとしてます。
もっと大きな場で活躍するために、、、。
次は、もっと大きなフィールド。
IN順1位が何万ポイントにも至るようなフィールドに挑戦したいと思ってます。
楽しみですね。
それでは。
釣哲人
<Look!>
応援のポチをお願いします!
あなたがポチをすると、当ブログの順位が上がります。
当ブログの順位が上がれば、より多くの方にお楽しみいただけます。
執筆者のモチベーションが上がります。
執筆者のモチベーションが上がると、更新頻度が上がります。
更新頻度が上がれば、、、あなたをもっと楽しませられるかも!?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

にほんブログ村

にほんブログ村


前回は、読まれ続けるためには、「奥行きが必要だ」という話をしました。
自身が成長し、それをブログにフィードバックすることが必要だ、と。
今回の「深さ」とは、、、。
その人が、なぜ、ブログを書いているのか、という根源的なものです。
こちらのブログで、「コア」と呼んで何度か紹介させていただいたものです。
あなたは、「なぜ」ブログを書いているのでしょうか。
単なるメモ書きにとどめず、不特定多数に発信するということは、そこに込めたい「思い」があるはず。
「哲学」と言っても良いでしょうか。
例えば、ある釣り場についての釣行記や状況をブログに記している人。
こういう人は、「自分が楽しんでいるこの釣りの楽しさを、他の人にも味わってもらいたい。共有したい」と考えているのでしょう。
トーナメントの様子などをお伝えするブログも、同様でしょうか(困ったことに、私はその楽しさを全く理解できない)。
新ジャンルのブログなども、「こうしたら、もっと楽しめるんじゃないか?」という提案として考えても良いのかもしれませんね。
この「コア」が弱いと、読み手にも熱が伝わらないですし、内容も「浅い」ものになり、長く支持を受けることが出来ません。
何より、「熱」がこもらないので、本人が面白く無くなってしまいます。
だから、ちょっと嫌なことがあったり、批判されたりすると、嫌になってやめてしまう。
私をみてくださいよ。笑。
どれだけ叩かれたことか、、、(すごいですね、応援してます。とコメントもらったことがあります)。
ちょっと視点を変えて。
ブロガーは、なぜ、自分の貴重な時間とお金と労力を割いて、記事を延々と書き続けるのでしょうが(利益目的のブログもありますが、私のはそうではありません。いや、利益目的でも、あまり割に合うビジネスではないように思う)。
それは、「読者様の期待に応えたい」という一心ではないかと思います。
さて。
皆様は、なぜ、今、こうして私のブログを読むことが出来るのでしょうか。
皆様は、一人残らず、昔は「赤ちゃん」だったのです。
一人では、ご飯を食べることも、排泄することもできなかった。
そんなみなさんが、今いっぱしの人として存在しているのは、、、。
親御さんが、愛情をかけて育ててくれたからですよ。
赤ん坊の頃は、親の愛情がなければ生きていけません。
食事や排泄、その他諸々の世話、という直接的な意味だけでなく、「愛」がなければ生きていかれないのです。
親(その他保護者)の抱擁が足りない子は、それが原因で死ぬこともある、という説もあるのです。
人は、子供の頃に受けられなかった愛情を求めて一生を過ごすという説もあります。
つまり、人は本能的に「愛」を求め、それに応えるようにできているんですよ。
皆様が、私のブログを読んでくれるということは、大きな愛情表現で、私はその愛に一生懸命に答えている。
つまり、ブログを発信し、それを読むという行為は、愛の交流なのです。
つまり、ココは、「愛の交流」の場なんですよ。
その「愛」がどんな形になっているのか。
それは、あなたの「哲学」にかかっているのです。
「愛の反対は、憎しみではない。『無関心』だ」と言ったのは、マザーテレサだったか。
あるブログに対して、辛辣な批判を寄せる人も、愛の変化球を投げているのかも知れませんね。
その変化が激しすぎると、きっと相手は受けきれないと思いますが、、、。笑。
そんな「愛の交流」の場も、もうすぐ閉じようとしてます。
もっと大きな場で活躍するために、、、。
次は、もっと大きなフィールド。
IN順1位が何万ポイントにも至るようなフィールドに挑戦したいと思ってます。
楽しみですね。
それでは。
釣哲人
<Look!>
応援のポチをお願いします!
あなたがポチをすると、当ブログの順位が上がります。
当ブログの順位が上がれば、より多くの方にお楽しみいただけます。
執筆者のモチベーションが上がります。
執筆者のモチベーションが上がると、更新頻度が上がります。
更新頻度が上がれば、、、あなたをもっと楽しませられるかも!?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

にほんブログ村

にほんブログ村

Posted by Mr. Intelligence at
20:11