2019年10月17日
ボクはポイントについてウソをつく。
一度ナチュログで紹介されてから、PVが大変なことになっております。
面白い記事を書き続けないと、読むのをやめてしまうでしょうから、それなりにプレッシャーです。
ま、合う人だけ残ればいいや、と思っておりますが。
無理しても、あまり続きません。
続けることが大事ですよ。
ここブログ村でも、結構上位にいたのに、消えていってしまった人、ほとんど更新しなくなってしまった人を沢山見てきました。
偉そうに評論していた人も、、、。
「人に読まれる記事」を(毎日のように)書き続けることが、どれだけ大変か、ということですよね。
ケチをつけるのは簡単です。
でも、それでは何も生み出しません。
そんなことしてないで、ご自分で面白い記事を書いて見てくださいな。
さて、ようやく本題です。笑。
割と大規模な自然の釣り場で。
「釣れました?」って、よく聞かれますよね?
(私はあまり人には聞きません。自分はよく聞かれますけど)。
釣れてないときは、堂々と、「釣れてません!」と言えますが。
「釣れましたよ」と答えると。
大抵、聞かれますよね。
「どこで釣れました?」
今までは、正直に答えるか、適当にごまかすかでしたが、、、。
これでいいのだろうか?
正直に答えたとすると。
「では、自分もそこに行ってみようかな」と思うのではないでしょうか。
特に、釣れていない人は。
それだけでは飽き足らず。
SNSで仲間にまで情報を拡散したりして。
で、仲間がそのポイントに釣りに行って、その成果をブログで公表でもしようものなら、、、。
どうなるか、容易に想像できますよね。
そのポイントは、連日大入り。
それまでのように、伸び伸びと釣りは出来なくなります。
これ、「教えた人」に、なんかメリットあるんですかね?
デメリットは分かりやすいけど。
教える方は、自分の時間と体力をやっと使って探り当てたポイント。
それを無償で差し出して、、、。
相手は得するでしょうけど、自分は、、、。
あまりリターンがないような気がするのです。
前回も述べたように、釣り場の状況は刻々と変わるので、例えば次の日にそのポイントに入ったとしても、同じ状況とは限らない。
「釣れる」と聞いて行ったポイントが、いつも釣れるわけではないですよね?
私自身、人から「あそこへ行くといいよ」と聞いて、いい思いをしたことはあまり多くありません。
きっと、「ポイント頼み」になってしまい、自ら自然を感じ取り、対応する努力を怠ってしまっているからでしょう。
そもそも、状況が違う。
教えてもらった方も、いい思いをすることが少ない。
教えた方は、自分がそこで釣りづらくなってしまう。
では、誰も幸せになりませんよね。
ポイントは、残念ながら無限にあるわけではありません。
みすみす自分の釣り場を狭くすることもないと思います。
ではどうするか。
ポイントについては、人に何も教えない。
もう一歩進んで。
ウソを教える、と言うのはどうでしょうか。
自分が釣れたのと、反対の方向を教えるのです。
例えば。
中禅寺湖の「山側」で大釣りをしたとします。
それを。
「国道側で、大漁だったよ」とやる訳です。
すると、その情報に惑わされた人が、国道側に押し寄せる訳ですね。
斯くして、あなたは山側で広々のんびりと釣りをできます。
「それでは騙された人が可哀想だ」とあなたは言うかも知れない。
でも、人が時間と労力をかけて得た貴重な情報を得ようとするのだから、それくらいのリスクは負って当然でしょう。
「ウソをつくなんて、武士らしくない。男ではない」とあなたは言うかも知れない。
でも、偽の情報を流して相手を誘導するって、兵法でもありそうではないですか?
自分らしく生きるための、方便ですよ。
ウソも方便、と言うではないですか。
これ、もっと拡大して、「釣り場」でもやってもいいかも知れないですね。
例えば、群馬のある釣り場で大釣りしても、全然逆方向の栃木の釣り場で釣ったことにするとか、、、。
これ、ブログでやると、ブログ自体がフィクションということになってしまいますが、、、(今の所、このブログと兄ブログは事実に基づいてます。ギャグ満載ですが)。
でも、きちんと事実を書いても、「ウソだろう」と言われてしまうので、、、。
いっそのこと、嘘で塗り固めて、自分に都合のいいように誘導した方が良いですよね。
この場合、読者が多く、影響力が強ければ強いほど有効になります。
うん。もっと読まれるように、頑張ろう。
では。
禅玄道士

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面白い記事を書き続けないと、読むのをやめてしまうでしょうから、それなりにプレッシャーです。
ま、合う人だけ残ればいいや、と思っておりますが。
無理しても、あまり続きません。
続けることが大事ですよ。
ここブログ村でも、結構上位にいたのに、消えていってしまった人、ほとんど更新しなくなってしまった人を沢山見てきました。
偉そうに評論していた人も、、、。
「人に読まれる記事」を(毎日のように)書き続けることが、どれだけ大変か、ということですよね。
ケチをつけるのは簡単です。
でも、それでは何も生み出しません。
そんなことしてないで、ご自分で面白い記事を書いて見てくださいな。
さて、ようやく本題です。笑。
割と大規模な自然の釣り場で。
「釣れました?」って、よく聞かれますよね?
(私はあまり人には聞きません。自分はよく聞かれますけど)。
釣れてないときは、堂々と、「釣れてません!」と言えますが。
「釣れましたよ」と答えると。
大抵、聞かれますよね。
「どこで釣れました?」
今までは、正直に答えるか、適当にごまかすかでしたが、、、。
これでいいのだろうか?
正直に答えたとすると。
「では、自分もそこに行ってみようかな」と思うのではないでしょうか。
特に、釣れていない人は。
それだけでは飽き足らず。
SNSで仲間にまで情報を拡散したりして。
で、仲間がそのポイントに釣りに行って、その成果をブログで公表でもしようものなら、、、。
どうなるか、容易に想像できますよね。
そのポイントは、連日大入り。
それまでのように、伸び伸びと釣りは出来なくなります。
これ、「教えた人」に、なんかメリットあるんですかね?
デメリットは分かりやすいけど。
教える方は、自分の時間と体力をやっと使って探り当てたポイント。
それを無償で差し出して、、、。
相手は得するでしょうけど、自分は、、、。
あまりリターンがないような気がするのです。
前回も述べたように、釣り場の状況は刻々と変わるので、例えば次の日にそのポイントに入ったとしても、同じ状況とは限らない。
「釣れる」と聞いて行ったポイントが、いつも釣れるわけではないですよね?
私自身、人から「あそこへ行くといいよ」と聞いて、いい思いをしたことはあまり多くありません。
きっと、「ポイント頼み」になってしまい、自ら自然を感じ取り、対応する努力を怠ってしまっているからでしょう。
そもそも、状況が違う。
教えてもらった方も、いい思いをすることが少ない。
教えた方は、自分がそこで釣りづらくなってしまう。
では、誰も幸せになりませんよね。
ポイントは、残念ながら無限にあるわけではありません。
みすみす自分の釣り場を狭くすることもないと思います。
ではどうするか。
ポイントについては、人に何も教えない。
もう一歩進んで。
ウソを教える、と言うのはどうでしょうか。
自分が釣れたのと、反対の方向を教えるのです。
例えば。
中禅寺湖の「山側」で大釣りをしたとします。
それを。
「国道側で、大漁だったよ」とやる訳です。
すると、その情報に惑わされた人が、国道側に押し寄せる訳ですね。
斯くして、あなたは山側で広々のんびりと釣りをできます。
「それでは騙された人が可哀想だ」とあなたは言うかも知れない。
でも、人が時間と労力をかけて得た貴重な情報を得ようとするのだから、それくらいのリスクは負って当然でしょう。
「ウソをつくなんて、武士らしくない。男ではない」とあなたは言うかも知れない。
でも、偽の情報を流して相手を誘導するって、兵法でもありそうではないですか?
自分らしく生きるための、方便ですよ。
ウソも方便、と言うではないですか。
これ、もっと拡大して、「釣り場」でもやってもいいかも知れないですね。
例えば、群馬のある釣り場で大釣りしても、全然逆方向の栃木の釣り場で釣ったことにするとか、、、。
これ、ブログでやると、ブログ自体がフィクションということになってしまいますが、、、(今の所、このブログと兄ブログは事実に基づいてます。ギャグ満載ですが)。
でも、きちんと事実を書いても、「ウソだろう」と言われてしまうので、、、。
いっそのこと、嘘で塗り固めて、自分に都合のいいように誘導した方が良いですよね。
この場合、読者が多く、影響力が強ければ強いほど有効になります。
うん。もっと読まれるように、頑張ろう。
では。
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Posted by Mr. Intelligence at
20:56
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