2019年10月10日
ある旅館のメッセージ:
泊まった旅館で。
朝、出発する時間が早いので、朝食はおにぎりにしてもらいました。
(梅干しを抜くのを伝えるのを忘れていた!入ってないといいけど、、、)。
朝起きると、こんなメッセージが。

心遣いが嬉しいですよね。
心と心の交流が、旅の醍醐味。
旅を続けよう。
禅玄道士

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朝、出発する時間が早いので、朝食はおにぎりにしてもらいました。
(梅干しを抜くのを伝えるのを忘れていた!入ってないといいけど、、、)。
朝起きると、こんなメッセージが。

心遣いが嬉しいですよね。
心と心の交流が、旅の醍醐味。
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Posted by Mr. Intelligence at
03:21
│管理釣り場│トラウト│fishing in charged ponds│グルメ│音楽│fishing in native fields
2019年10月10日
「釣りに行く」はgo fishingです:
昔、釣り雑誌に。
誰かの投稿で。
「釣りに行こう!Let's go to the fishing !」というものがありました。
言いたいことはわかりますが、、、(日本語が付いてるし)。
この'the'は、何を特定化してるんだ?
theが付くものは、既知のもの、相手にも当然それとわかるの、一つに特定化できるもののはずだが、これでは内容がよく分からん。
それに、「釣り」という目的地に向かって、到達していくのか?
そうではなくで、「釣り」という「スポーツ、趣味」をしに行くのだから、'go fishing'が良くないですかね。
また。
ある釣り場のステッカーに。
'We are conserve the mother nature.'
というものがありました。
「母なる自然」は、一つともいえるでしょうから、theが付くのはいいとして、、、。
なんで、'are'というbe動詞と、conserveという一般動詞が混在してるんだ?
(恐らく、「私たちは、母なる自然を守ります」の「ます」をareと訳したのでしょう)。
述語動詞は、英文の心臓部(人間も心臓は一人に一つ)ともいえるもので、一つの文に一つしかないはずです(一つの文に二つの結論があるのはおかしいでしょう)。
動詞を一文に二つ以上使うときには、接続詞・関係詞・間接疑問文での疑問詞など、接続するものが必要となります。
日本語は、「私は、、、、する。」とか、「私は、、、です。」という風に、結論に当たる「述語」が一番最後に来るのに対して、英語は、’We play ,,,,,.'とか、'We are ,,,,.’という風に、結論を主語の後ろに持って来ます。
この言語様式の違いが、双方の民族の思考様式に影響を与えております。
※言語は文化によって作られ、文化を作るとも言えます。
日本人の結論がなかなか出てこない話、時にはじれったいですよね。
「はよ結論言え!」と言いたくなる時があります。笑。
昔、会社に勤めている頃。
設計の方が、会社のパンフレットを作ったのですが。
「標準仕様」のところで。
'standerd'と来たもんだ。
これはさすがにヒドイ、と思い。
「'standard'ではないですか?」と訂正を促しました。
「他には何かありますか?」と聞かれたので。
「建築例」のところで。
実際にいくつも写真が載っているのに。
exampleとなってるんですよ。
「私たちが販売しているのは、抽象概念ではなく、実際の建築物ですので、examlpesにした方がいいのではないですか?ついでに、よく分からないなら、無理して英語を使うこともないのではないですか?」と言いました。
「カチン!」と来たかもしれませんね。
exampleの件は、修正されませんでした、、、。
これ、見る人がわかれば、分かってしまうと思うのですが、、、。
この例に限らず。
日本人は。
「英語を使えば、なんとなくカッコいい」と思う傾向があるようで、、、。
これって、欧米コンプレックスの一種じゃないかな。
あと、英語が流暢に話せると、「カッコいい」とか、、、。
これも、欧米コンプレックスの一種ではないでしょうか。
そんなことよりも。
綺麗な日本語を話せること。
もっと言えば、話す内容が綺麗なこと。
の方が、尊くないでしょうか。
また、「海外留学」や、「海外経験」を、自慢したり、ありがたく思うことも、、、。
欧米コンプレックスの一種ではないかと思ってしまいます。
日本に根ざして、立派な仕事をすることも、カッコいいことだと思いますよ。
別に海外に出ることが、それほど特別なことではないと思います。
ついでに。
同じTOEICで900というスコアをあげるにしても。
海外留学して取るよりは、国内の勉強のみで取る方が、本人の努力や他の人への汎用性という観点からも。
尊い、と私は思います。
上記の様々なことを考えるにつけ、英語を分かりやすく教えることの重要性を痛感している今日この頃です。
私がやるしかないかな、、、。
誰でも、大学受験をクリアする程度、TOEICで800点取らせるくらいなら、できるような気がするのです。
期待してくださいね。
禅玄道士

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「釣りに行こう!Let's go to the fishing !」というものがありました。
言いたいことはわかりますが、、、(日本語が付いてるし)。
この'the'は、何を特定化してるんだ?
theが付くものは、既知のもの、相手にも当然それとわかるの、一つに特定化できるもののはずだが、これでは内容がよく分からん。
それに、「釣り」という目的地に向かって、到達していくのか?
そうではなくで、「釣り」という「スポーツ、趣味」をしに行くのだから、'go fishing'が良くないですかね。
また。
ある釣り場のステッカーに。
'We are conserve the mother nature.'
というものがありました。
「母なる自然」は、一つともいえるでしょうから、theが付くのはいいとして、、、。
なんで、'are'というbe動詞と、conserveという一般動詞が混在してるんだ?
(恐らく、「私たちは、母なる自然を守ります」の「ます」をareと訳したのでしょう)。
述語動詞は、英文の心臓部(人間も心臓は一人に一つ)ともいえるもので、一つの文に一つしかないはずです(一つの文に二つの結論があるのはおかしいでしょう)。
動詞を一文に二つ以上使うときには、接続詞・関係詞・間接疑問文での疑問詞など、接続するものが必要となります。
日本語は、「私は、、、、する。」とか、「私は、、、です。」という風に、結論に当たる「述語」が一番最後に来るのに対して、英語は、’We play ,,,,,.'とか、'We are ,,,,.’という風に、結論を主語の後ろに持って来ます。
この言語様式の違いが、双方の民族の思考様式に影響を与えております。
※言語は文化によって作られ、文化を作るとも言えます。
日本人の結論がなかなか出てこない話、時にはじれったいですよね。
「はよ結論言え!」と言いたくなる時があります。笑。
昔、会社に勤めている頃。
設計の方が、会社のパンフレットを作ったのですが。
「標準仕様」のところで。
'standerd'と来たもんだ。
これはさすがにヒドイ、と思い。
「'standard'ではないですか?」と訂正を促しました。
「他には何かありますか?」と聞かれたので。
「建築例」のところで。
実際にいくつも写真が載っているのに。
exampleとなってるんですよ。
「私たちが販売しているのは、抽象概念ではなく、実際の建築物ですので、examlpesにした方がいいのではないですか?ついでに、よく分からないなら、無理して英語を使うこともないのではないですか?」と言いました。
「カチン!」と来たかもしれませんね。
exampleの件は、修正されませんでした、、、。
これ、見る人がわかれば、分かってしまうと思うのですが、、、。
この例に限らず。
日本人は。
「英語を使えば、なんとなくカッコいい」と思う傾向があるようで、、、。
これって、欧米コンプレックスの一種じゃないかな。
あと、英語が流暢に話せると、「カッコいい」とか、、、。
これも、欧米コンプレックスの一種ではないでしょうか。
そんなことよりも。
綺麗な日本語を話せること。
もっと言えば、話す内容が綺麗なこと。
の方が、尊くないでしょうか。
また、「海外留学」や、「海外経験」を、自慢したり、ありがたく思うことも、、、。
欧米コンプレックスの一種ではないかと思ってしまいます。
日本に根ざして、立派な仕事をすることも、カッコいいことだと思いますよ。
別に海外に出ることが、それほど特別なことではないと思います。
ついでに。
同じTOEICで900というスコアをあげるにしても。
海外留学して取るよりは、国内の勉強のみで取る方が、本人の努力や他の人への汎用性という観点からも。
尊い、と私は思います。
上記の様々なことを考えるにつけ、英語を分かりやすく教えることの重要性を痛感している今日この頃です。
私がやるしかないかな、、、。
誰でも、大学受験をクリアする程度、TOEICで800点取らせるくらいなら、できるような気がするのです。
期待してくださいね。
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Posted by Mr. Intelligence at
14:54
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