2021年10月27日
近所のオヤジの教え。
おはようございます。
私の記事を読んで。
「なんで『ターンノウヴァア』なんだ!?普通にターンオーバーでいいじゃないか」と思った方もいるかも知れません。
板が賑わってた頃は。
同様の表現に対し。「みんながそう言ってるんだから、お前もそう言え」とか「読みづらいから、普通に書け」など落書きする人もいました。
その意見の是非はともかく。
前者のような発言を、日本語では「同調圧力」、英語では'pressure to conform'と言います。
いいんですか、そんなんで。笑。
まあ、本人がいいと思っているので、良いとしましょうか。
でも、他人に押し付けるのは、ダメですよ。
自分もされたら、嫌でしょ?
さて、本題に戻り。
なぜ、「ターンノウヴァア」なのか。
理由をいくつか挙げます。
1. 知的水準
2. 個性の発露
3. ブログにエッジを効かせる
4. インパクト
5. 近所のオヤジの教え
一つずつ説明していきましょう。
1. 知的水準
私が読む多くの本でも。
知的水準が高い人ほど。
言葉の使い方にこだわりがあります。
私が大好きな作家、森博嗣先生も。
「メジャ」「マイナ」と言った言葉を使います。
これ、日本人の多く(=知的レベルが「普通」の人)は。
「メジャー」「マイナー」と読むのではないでしょうか。
だいたい、日本人は、安易に長音化・二重母音化しすぎる傾向があるように思う。
そうすると。
アクセントがその部分に移動しがちなんですよ。
「メーカー」と言うと、アクセントは「カ」ですよね?
「シグネイチャー」と言ったら、アクセントは「ネイ』ですよね?
何か必然性があって、長音化・二重母音化しているのでしょうか?
そうでないならば、徒にアクセントをずらし、日本人の国際化を阻むだけではないでしょうか?
言葉は毎日使うものですし、言葉によって文化は成り立っている(人間が人間たる所以)なので、もう少し大切にして、自分なりの考えを入れた方がいいと思うのです。
言葉に対して、主体性を持ってはいかがでしょうか。
そんな問題提起も含め。
2. 個性の発露
このような「ブログ」は、「個性の表現」と言っていいと思います。
他と同じであれば、存在意義がないですから。
昔、コメント欄に、「○○さんみたいなブログを書け」と言うトンチンカンな意見(板の落書きはだいたいそうですが)を書く輩がいましたが、、、。
だったら、私のブログを読むのを即座にやめ、ずっとその方のブログを見ればいいではないですか。
私のブログが面白くて読んでいる方もいるのですから(私は、大抵の人がそうなのだと認識しております。つまらないのだったら、時間が勿体無いので、読むのをやめた方がよろしいかと存じます)。
私自身も、個性的なブログを読むのが好きなので、自分のブログも個性的であるように努めております(上手くいってるでしょうか?)。
3. ブログにエッジを効かせる。
世の中に、似たようなブログはあふれていて、次から次へと同じようなものが量産されるので、読み手は、どれを読んでいいものか迷うでしょう。
そんな中、歩留まりを高めるためには、読者に刺さる「何か」が必要です。
「エッ!何、コレ」と思わせるような何かが。
サスペンスとサプライズが必要なんですよ。
予定調和を壊す必要があります。(c)秋元康
この、変なカタカナ文字も、私のブログの個性となり、エッジとなって読者に効いているのではないでしょうか。
4. インパクト
結構な長期間にわたり、私のブログは、それなりの数の人に読まれ続けております。
釣りブログとしてもっと優れているもの、私よりも釣りの上手い人が書いたブログは、たくさんあると思います。
それなのに、なぜ、、、。
一つは、このブログがもたらす「インパクト」があると思うのです。
そして、その「インパクト」は、、、。
このブログの「変さ」、ブログ管理者の「変わり者っぷり」が大きな役割を果たしているような気がするのです。
5. 近所のオヤジの教え。
中学校1年の時だったか。
地元の公民館で卓球をしていた時。
近所のオヤジが見物をしていて。
審判役をしていていた私が。
「シックスティーン・オール」とコールしたところ。
「それではダメだ。 『シックスティ・ノゥオゥール」と言いなさい」と言いました。
そのオヤジへの体面上。
オヤジが見ている間は、できるだけ同様の発音をするように努めました。
その当時は、「何言ってんだ」と思っておりましたが(少し楽しかったけど)、今になってみると。
あれは、オヤジなりの「愛の表現」だったのだと思います。
ありがたく頂戴すべきでしょう。
そして、その教えは、今も私のブログに影響を与えているのです(本当か?)。
もしかしたら、このブログも、誰かに影響を与えているのかも知れませんね、、、。
どこかで、「スプゥーン」という表現を見ることはないでしょうか。
あるとしたら、、、。
釣哲人
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「なんで『ターンノウヴァア』なんだ!?普通にターンオーバーでいいじゃないか」と思った方もいるかも知れません。
板が賑わってた頃は。
同様の表現に対し。「みんながそう言ってるんだから、お前もそう言え」とか「読みづらいから、普通に書け」など落書きする人もいました。
その意見の是非はともかく。
前者のような発言を、日本語では「同調圧力」、英語では'pressure to conform'と言います。
いいんですか、そんなんで。笑。
まあ、本人がいいと思っているので、良いとしましょうか。
でも、他人に押し付けるのは、ダメですよ。
自分もされたら、嫌でしょ?
さて、本題に戻り。
なぜ、「ターンノウヴァア」なのか。
理由をいくつか挙げます。
1. 知的水準
2. 個性の発露
3. ブログにエッジを効かせる
4. インパクト
5. 近所のオヤジの教え
一つずつ説明していきましょう。
1. 知的水準
私が読む多くの本でも。
知的水準が高い人ほど。
言葉の使い方にこだわりがあります。
私が大好きな作家、森博嗣先生も。
「メジャ」「マイナ」と言った言葉を使います。
これ、日本人の多く(=知的レベルが「普通」の人)は。
「メジャー」「マイナー」と読むのではないでしょうか。
だいたい、日本人は、安易に長音化・二重母音化しすぎる傾向があるように思う。
そうすると。
アクセントがその部分に移動しがちなんですよ。
「メーカー」と言うと、アクセントは「カ」ですよね?
「シグネイチャー」と言ったら、アクセントは「ネイ』ですよね?
何か必然性があって、長音化・二重母音化しているのでしょうか?
そうでないならば、徒にアクセントをずらし、日本人の国際化を阻むだけではないでしょうか?
言葉は毎日使うものですし、言葉によって文化は成り立っている(人間が人間たる所以)なので、もう少し大切にして、自分なりの考えを入れた方がいいと思うのです。
言葉に対して、主体性を持ってはいかがでしょうか。
そんな問題提起も含め。
2. 個性の発露
このような「ブログ」は、「個性の表現」と言っていいと思います。
他と同じであれば、存在意義がないですから。
昔、コメント欄に、「○○さんみたいなブログを書け」と言うトンチンカンな意見(板の落書きはだいたいそうですが)を書く輩がいましたが、、、。
だったら、私のブログを読むのを即座にやめ、ずっとその方のブログを見ればいいではないですか。
私のブログが面白くて読んでいる方もいるのですから(私は、大抵の人がそうなのだと認識しております。つまらないのだったら、時間が勿体無いので、読むのをやめた方がよろしいかと存じます)。
私自身も、個性的なブログを読むのが好きなので、自分のブログも個性的であるように努めております(上手くいってるでしょうか?)。
3. ブログにエッジを効かせる。
世の中に、似たようなブログはあふれていて、次から次へと同じようなものが量産されるので、読み手は、どれを読んでいいものか迷うでしょう。
そんな中、歩留まりを高めるためには、読者に刺さる「何か」が必要です。
「エッ!何、コレ」と思わせるような何かが。
サスペンスとサプライズが必要なんですよ。
予定調和を壊す必要があります。(c)秋元康
この、変なカタカナ文字も、私のブログの個性となり、エッジとなって読者に効いているのではないでしょうか。
4. インパクト
結構な長期間にわたり、私のブログは、それなりの数の人に読まれ続けております。
釣りブログとしてもっと優れているもの、私よりも釣りの上手い人が書いたブログは、たくさんあると思います。
それなのに、なぜ、、、。
一つは、このブログがもたらす「インパクト」があると思うのです。
そして、その「インパクト」は、、、。
このブログの「変さ」、ブログ管理者の「変わり者っぷり」が大きな役割を果たしているような気がするのです。
5. 近所のオヤジの教え。
中学校1年の時だったか。
地元の公民館で卓球をしていた時。
近所のオヤジが見物をしていて。
審判役をしていていた私が。
「シックスティーン・オール」とコールしたところ。
「それではダメだ。 『シックスティ・ノゥオゥール」と言いなさい」と言いました。
そのオヤジへの体面上。
オヤジが見ている間は、できるだけ同様の発音をするように努めました。
その当時は、「何言ってんだ」と思っておりましたが(少し楽しかったけど)、今になってみると。
あれは、オヤジなりの「愛の表現」だったのだと思います。
ありがたく頂戴すべきでしょう。
そして、その教えは、今も私のブログに影響を与えているのです(本当か?)。
もしかしたら、このブログも、誰かに影響を与えているのかも知れませんね、、、。
どこかで、「スプゥーン」という表現を見ることはないでしょうか。
あるとしたら、、、。
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