2020年02月19日
私のブログのコメント欄で、自説を滔々と述べたアノ人。
いやあ、面白い。
実に面白い。
何がって、「ロバート・ツルッパゲ」が、ですよ。
一つ一つ、うなずきながら、抱腹絶倒です。
今、半分を越して2/3くらいに差し掛かっているところですが、今後、何度も行ったり来たりして、ここからテーマを取り出すことになろうかと思います。
わかりやすく、かつ、コンパクトにシンプルになるように、一記事一テーマに収めるように努めます。
今回は、このフレーズ。
「哲学とは『私の目には、世界がこう存在して見える』という表明です。」
私は、ブログをこういうつもりで書いておりますし、ブログというのは、自分の哲学を世界に表明するのにうってつけの媒体だと思います。
でも、そこで表現することはあくまで、「私」の哲学であり、それを人に押し付けるつもりはございません。
どちらが正しいか、を決める必要性も感じません。
だから、「これは『私の』考えです」とか、「『私は』そう思います」という表現を多用してきました。
これは、このブログ開設以来、変わっておりません。
だから、「公開討論せよ」という人の意図がよく分かりません。
よく分かりませんが、、、。
今回の記事を読んでいてだければ、私がその人たちをどう洞察しているのかがお分かり頂けるのではないかと思います。
今でも、少し形跡が残っているのかな?
昔、このブログのコメント欄に、何度も、長々と自説を述べてくる人がいました。
私も大人ですし?、読者サービスもあり、嬉しい振りをしておりましたが、、、。
「あの人は、何がしたくって、ああしていたんだろう?」と不思議に思います。
私のブログが多くの人に読まれているから、その場を借りて、自分の意見を表明したかったのでしょうか?
もし、その人の意見が、多くの人が、「時間と労力をかけて読む価値がある」と思われるものであれば、別に、私のブログのコメント欄を借りなくても、多くの人に読まれたことでしょう。
実際、その方は、ご自分でもブログをやられていることを、非公開ではありますが教えてくれました。
それが、あまり読まれてないということは、、、、。
やはり、「それなりの意見」だったのではないでしょうか。
おそらく、そのことは、ご本人も自覚されていたはず。
だから、私のブログのコメント欄を利用した(私の知名度に乗っかった)のでしょう。
でも、一番はそこではないと思うのです。
私に何か伝えたかった、気づいて欲しかった、教えたかったのでしょうか?
では逆に。
私が、ナイスなツッコミを返したとして。
「あ、そうか。それは気づかなかった。いいことを教えてもらった。今後は、考え方を変えよう」と思ったでしょうか?
私は大人ですし?読者サービスの意味合いもあり、その方のおっしゃることをほとんど否定せず(?と思うことはあったけど)、肯定して流していました。
すると、その人は興が乗ってきたのか、ますます滑らかに筆を滑らせてきました。
っていうことは、、、。
私に何か教えたかったのでもないのかな、という気がします。
恐らくは。
その人は、「こう思われたい」という自分を、私のブログのコメント欄で体現したかったのだろうと思います。
もう一つは、「私(筆者ね)はこういう人間である」ということを、定義づけたかったのではないかと。
ちょっと誇張した表現になりますが。
分かりやすくいうと。
「こういう筆者に対して、こういう態度をとる俺スゲエ」的なノリではないでしょうか。
公開討論を要求する人も、そうね。
要は、自分と考えの似た仲間たちに承認されたい、という「承認欲求」が、その原動力になっているのではないかと。
これが私の洞察です。
昔、私が元教え子と結婚したことをあげつらえて。
「俺にも年頃の娘がいるが、同じことをされたら絶対に許せねえ」と2chに書き込んでいた方がいました。
2chに書き込みをするような父親を持つ娘を、私が結婚したくなるほど好きになるとは思えませんが、、、。
まあ、いいや。
私が、「年頃の娘さんが、自分の父親が2chに書き込みをしているって知ったら、どう思うんでしょうね?」と記事に書いたら。
怒る、怒る。笑。
真っ赤な顔をした赤鬼が、パソコンから飛び出してくるのではないかと思うほど怒っている様子が、文面から伝わってきました。
なんで怒るんだ?
私は、「どう思うんでしょうね?」と疑問を提示しただけで、「バカにする」とか「恥ずかしい」と措定しておりませんが、、、。
ご本人が、そういうことだと自覚していらっしゃるのでしょう。
なら、やめたらいいのに。笑。
あ、私のブログに、コメント欄がないことが原因でしたっけ?笑。
世の中の表現手段って、コメント欄と2chだけでしたっけ?笑。
自分でブログでもなんでも書けばいいではないですか。
人んちの玄関にまで上がったり(不法侵入です)、便所に落書き(器物破損です)することないでしょう。
それを多くの人に読んでもらえないのは、私のブログにコメント欄がないからではなく、あなたの意見にそれだけの価値がないからですよ。
まずは、その価値を上げることが先決ではないでしょうか。
多くの人に読まれたいのであれば。
昔、アンチブログを立ち上げた人もいましたけど、動機は同じじゃないですかね。
「仲間に認められたい」という。
その人とは、個人的にもやりとりしておりましたが、仲間をとても大切にしている印象があります。
だから私は、「仲間ではない」ということですね。笑。
いいんですよ。
今のところ、釣り仲間を増やす余裕はありません。
24h、お客様や業務提携先からの連絡対応に追われている上、釣りに行く時間を確保することも難しいのに、これ以上、メールの返信や、LINEの対応に追われたら、気が狂ってしまいます、、、。
批評だけして、対論を示さないのもアレなので。
ブログのコメント欄に、何を書いたらいいか。
ブログの筆者が、ますます記事を書きたくなるようなコメントがいいんじゃないですかね。
自分も、そのブログを読んで楽しんでいるんですから。
自分が楽しんでおきながら、筆者が記事を書く気をなくすようなコメントを寄せるのは、人としてどうでしょうかねえ、、、。
そういう人は、満員電車に乗って。
「なんでこんなに混んでるんだよ!」と、文句を言うんでしょうね。
お前が乗ってるからやろ!と、全力でツッコミたくなりますよね。笑。
あなたが降りれば、少なくとも一人分は、混雑が解消されます。笑。
ブログは、そう言う人も含めて、「読む人」がいるから、続いていくのですよ。
本日も、お読みいただき、ありがとうございます。
ではまた。
釣哲人
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何がって、「ロバート・ツルッパゲ」が、ですよ。
一つ一つ、うなずきながら、抱腹絶倒です。
今、半分を越して2/3くらいに差し掛かっているところですが、今後、何度も行ったり来たりして、ここからテーマを取り出すことになろうかと思います。
わかりやすく、かつ、コンパクトにシンプルになるように、一記事一テーマに収めるように努めます。
今回は、このフレーズ。
「哲学とは『私の目には、世界がこう存在して見える』という表明です。」
私は、ブログをこういうつもりで書いておりますし、ブログというのは、自分の哲学を世界に表明するのにうってつけの媒体だと思います。
でも、そこで表現することはあくまで、「私」の哲学であり、それを人に押し付けるつもりはございません。
どちらが正しいか、を決める必要性も感じません。
だから、「これは『私の』考えです」とか、「『私は』そう思います」という表現を多用してきました。
これは、このブログ開設以来、変わっておりません。
だから、「公開討論せよ」という人の意図がよく分かりません。
よく分かりませんが、、、。
今回の記事を読んでいてだければ、私がその人たちをどう洞察しているのかがお分かり頂けるのではないかと思います。
今でも、少し形跡が残っているのかな?
昔、このブログのコメント欄に、何度も、長々と自説を述べてくる人がいました。
私も大人ですし?、読者サービスもあり、嬉しい振りをしておりましたが、、、。
「あの人は、何がしたくって、ああしていたんだろう?」と不思議に思います。
私のブログが多くの人に読まれているから、その場を借りて、自分の意見を表明したかったのでしょうか?
もし、その人の意見が、多くの人が、「時間と労力をかけて読む価値がある」と思われるものであれば、別に、私のブログのコメント欄を借りなくても、多くの人に読まれたことでしょう。
実際、その方は、ご自分でもブログをやられていることを、非公開ではありますが教えてくれました。
それが、あまり読まれてないということは、、、、。
やはり、「それなりの意見」だったのではないでしょうか。
おそらく、そのことは、ご本人も自覚されていたはず。
だから、私のブログのコメント欄を利用した(私の知名度に乗っかった)のでしょう。
でも、一番はそこではないと思うのです。
私に何か伝えたかった、気づいて欲しかった、教えたかったのでしょうか?
では逆に。
私が、ナイスなツッコミを返したとして。
「あ、そうか。それは気づかなかった。いいことを教えてもらった。今後は、考え方を変えよう」と思ったでしょうか?
私は大人ですし?読者サービスの意味合いもあり、その方のおっしゃることをほとんど否定せず(?と思うことはあったけど)、肯定して流していました。
すると、その人は興が乗ってきたのか、ますます滑らかに筆を滑らせてきました。
っていうことは、、、。
私に何か教えたかったのでもないのかな、という気がします。
恐らくは。
その人は、「こう思われたい」という自分を、私のブログのコメント欄で体現したかったのだろうと思います。
もう一つは、「私(筆者ね)はこういう人間である」ということを、定義づけたかったのではないかと。
ちょっと誇張した表現になりますが。
分かりやすくいうと。
「こういう筆者に対して、こういう態度をとる俺スゲエ」的なノリではないでしょうか。
公開討論を要求する人も、そうね。
要は、自分と考えの似た仲間たちに承認されたい、という「承認欲求」が、その原動力になっているのではないかと。
これが私の洞察です。
昔、私が元教え子と結婚したことをあげつらえて。
「俺にも年頃の娘がいるが、同じことをされたら絶対に許せねえ」と2chに書き込んでいた方がいました。
2chに書き込みをするような父親を持つ娘を、私が結婚したくなるほど好きになるとは思えませんが、、、。
まあ、いいや。
私が、「年頃の娘さんが、自分の父親が2chに書き込みをしているって知ったら、どう思うんでしょうね?」と記事に書いたら。
怒る、怒る。笑。
真っ赤な顔をした赤鬼が、パソコンから飛び出してくるのではないかと思うほど怒っている様子が、文面から伝わってきました。
なんで怒るんだ?
私は、「どう思うんでしょうね?」と疑問を提示しただけで、「バカにする」とか「恥ずかしい」と措定しておりませんが、、、。
ご本人が、そういうことだと自覚していらっしゃるのでしょう。
なら、やめたらいいのに。笑。
あ、私のブログに、コメント欄がないことが原因でしたっけ?笑。
世の中の表現手段って、コメント欄と2chだけでしたっけ?笑。
自分でブログでもなんでも書けばいいではないですか。
人んちの玄関にまで上がったり(不法侵入です)、便所に落書き(器物破損です)することないでしょう。
それを多くの人に読んでもらえないのは、私のブログにコメント欄がないからではなく、あなたの意見にそれだけの価値がないからですよ。
まずは、その価値を上げることが先決ではないでしょうか。
多くの人に読まれたいのであれば。
昔、アンチブログを立ち上げた人もいましたけど、動機は同じじゃないですかね。
「仲間に認められたい」という。
その人とは、個人的にもやりとりしておりましたが、仲間をとても大切にしている印象があります。
だから私は、「仲間ではない」ということですね。笑。
いいんですよ。
今のところ、釣り仲間を増やす余裕はありません。
24h、お客様や業務提携先からの連絡対応に追われている上、釣りに行く時間を確保することも難しいのに、これ以上、メールの返信や、LINEの対応に追われたら、気が狂ってしまいます、、、。
批評だけして、対論を示さないのもアレなので。
ブログのコメント欄に、何を書いたらいいか。
ブログの筆者が、ますます記事を書きたくなるようなコメントがいいんじゃないですかね。
自分も、そのブログを読んで楽しんでいるんですから。
自分が楽しんでおきながら、筆者が記事を書く気をなくすようなコメントを寄せるのは、人としてどうでしょうかねえ、、、。
そういう人は、満員電車に乗って。
「なんでこんなに混んでるんだよ!」と、文句を言うんでしょうね。
お前が乗ってるからやろ!と、全力でツッコミたくなりますよね。笑。
あなたが降りれば、少なくとも一人分は、混雑が解消されます。笑。
ブログは、そう言う人も含めて、「読む人」がいるから、続いていくのですよ。
本日も、お読みいただき、ありがとうございます。
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Posted by Mr. Intelligence at 04:00
│人間観察