2024年03月17日
人生の終着駅と、ブログの目的:
今、このブログを読んでいる人は、例外なく「生きて」いるでしょうし(そうでなかったら、コワイ)、生きている人は、一人の例外もなく、いつかは死んでいきます。
その時に、人は何を思うのでしょうか。
「ああ、もっとお金を貯めておけば良かった」と思うのでしょうか(←あの世にお金は持っていけません)。
または。「ああ、もっと仕事をしておけば良かったな」と思うのでしょうか(←そうではないだろ、ということが、アメリカの記事などでよく見られます)。
ちなみに、アメリカのある調査で、終末施設で90歳を超えた人にとったアンケートで分かった人生の2大後悔は。
1. もっと学んでおけば良かった。
2. もっとリスクを取っておけば良かった。
の二つだそうです。
あなたは学び、リスクを取ってますか?
って、この話、前にもしましたよね(笑)。
今日は、そこではありません。
矢沢永吉さんの、「バラードよ永遠に」という歌を、知ってますか?
知らない方は、ぜひ一度聞いてみてください。
ものすごく良い歌です。
妻と結婚後、アレは長男がお腹にいた頃ですから、結婚後3年を過ぎたあたりですか。
二人でカラオケに行って、私がこの歌を歌ったら、普段はあまり感情を表に出さない妻が、ちょっと涙ぐんでいたことを私は知っています。
この歌の作詞は売野雅勇ですが、、、(作曲は、永ちゃん)。
その詩の中に。
「星さえつかめば、寂しさも消えると思っていた、、、、生きる答えは『愛』と気付くまで、、、、」という部分があります。
作詞こそ、他の人ですが、これ、永ちゃんも実感しいていることではないかと思います。
その著書「成り上がり」にもそんなことが書いてあるような、、、。
永ちゃんは、極貧の中で育ち、「ビッグになってやる」と野心を抱いて上京し、それを達成するわけですが、いざ、ビッグになっていると、、、。
「あれ??全てが解決するはずなのに、、、」という思いを抱えてしまいます。
そこで、「生きる答えは『愛』」と気づき、魂の空洞を埋めてくれる今の奥さんと再婚したのではないでしょうか。
そして。
70歳を過ぎたところで。
「この歳になって、今だにロックで腰を振っていることには、『感謝』しかないね」と言ってました。
いかがでしょうか。
私も、50数年生きてきましたが、生きる答えは「愛と感謝」にあるのではないかと思います。
「愛される」ことには、相手の事情も絡みますが、「愛する」ことはいつでも、自分からできます。
人が生きていることが素晴らしいのは、それがその人の祖先の「愛の連鎖」の結果であるからです。
子供を持たない人には想像がつきにくいかもしれませんが、、、、。
「親の子に対する愛情」というのは、途方もなく大きく、深いものがあります(動物に備わっている本能でしょうか)。
昔、ハウスメイカに勤めていた時、私の尊敬するT所長が、「成功を維持できるかどうかは、『感謝の気持ち』を持てるかどうかだ」とおっしゃっていました。
これ、私、実感してますよ。
私が一時的に成功できても、それを維持できなかったのは、「感謝の気持ちの欠如」が原因だと痛感しております。
幸せになれるかどうかの分かれ目は、「感謝の気持ち」を持てるかどうかじゃないですかね??
「俺が貧乏(不幸)なのは。社会(政治、親、上司、妻、会社)が悪い」とか。
※貧乏だからと言って、不幸とは限りません。
「俺が釣れないのは、釣り場(道具)が悪い」とか。
言っている人って、確実に「不幸」じゃないですかね。
そして、その原因は、ご自分で作っているのでは?
どうして、そういう思考パターンになっちゃうんでしょうね?
同情はしますが、共感はしません。
気づいて欲しいとは思いますが、これは本人の心の問題なので、どうすることもできません(自分の考えを述べるにとどまります)。
ただ、、、。
私が不利(説得力がない)のは、私が、親や配偶者に、とても恵まれている(恵まれ過ぎている)ため、「お前は特別だろ」と言われても、返す言葉がないところです。
大学時代から、言われてましたよ。
私が何か言っても。
「お前は、親とか、家庭教師先の親御さんや生徒に恵まれ過ぎているから、そんな甘い考えなんだ」と(←人を信じ過ぎるところはあります)。
また、新宿の会社に勤めている時も、「哲人さんは特別なので、夫婦関係に関して意見をもらっても、参考になりません」と言われました。
こればっかりは、、、、。
でも、こう言ったことに恵まれている人とそうでない人って、どこで差がつくんでしょうかね、、、?
何か法則性が見出せるといいのですが。
私が、ありのまま、思いの丈をこのブログに認める(←「したためる」と読みます)ことにより、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。
このブログの読者皆さんが、「恵まれている」人になればいいですね。
そのために、自分ができることはなんでしょうか?
「恵まれていない(と自分が思っている)」人でも、自分の人生に何かいいところを見つけられるといいですね。
皆さんが、「愛と感謝」に満ちた日々を送れますように。
それでは。
釣哲人
<Look!>
応援のポチをお願いします!
あなたがポチをすると、当ブログの順位が上がります。
当ブログの順位が上がれば、より多くの方にお楽しみいただけます。
執筆者のモチベーションが上がります。
執筆者のモチベーションが上がると、更新頻度が上がります。
更新頻度が上がれば、、、あなたをもっと楽しませられるかも!?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

その時に、人は何を思うのでしょうか。
「ああ、もっとお金を貯めておけば良かった」と思うのでしょうか(←あの世にお金は持っていけません)。
または。「ああ、もっと仕事をしておけば良かったな」と思うのでしょうか(←そうではないだろ、ということが、アメリカの記事などでよく見られます)。
ちなみに、アメリカのある調査で、終末施設で90歳を超えた人にとったアンケートで分かった人生の2大後悔は。
1. もっと学んでおけば良かった。
2. もっとリスクを取っておけば良かった。
の二つだそうです。
あなたは学び、リスクを取ってますか?
って、この話、前にもしましたよね(笑)。
今日は、そこではありません。
矢沢永吉さんの、「バラードよ永遠に」という歌を、知ってますか?
知らない方は、ぜひ一度聞いてみてください。
ものすごく良い歌です。
妻と結婚後、アレは長男がお腹にいた頃ですから、結婚後3年を過ぎたあたりですか。
二人でカラオケに行って、私がこの歌を歌ったら、普段はあまり感情を表に出さない妻が、ちょっと涙ぐんでいたことを私は知っています。
この歌の作詞は売野雅勇ですが、、、(作曲は、永ちゃん)。
その詩の中に。
「星さえつかめば、寂しさも消えると思っていた、、、、生きる答えは『愛』と気付くまで、、、、」という部分があります。
作詞こそ、他の人ですが、これ、永ちゃんも実感しいていることではないかと思います。
その著書「成り上がり」にもそんなことが書いてあるような、、、。
永ちゃんは、極貧の中で育ち、「ビッグになってやる」と野心を抱いて上京し、それを達成するわけですが、いざ、ビッグになっていると、、、。
「あれ??全てが解決するはずなのに、、、」という思いを抱えてしまいます。
そこで、「生きる答えは『愛』」と気づき、魂の空洞を埋めてくれる今の奥さんと再婚したのではないでしょうか。
そして。
70歳を過ぎたところで。
「この歳になって、今だにロックで腰を振っていることには、『感謝』しかないね」と言ってました。
いかがでしょうか。
私も、50数年生きてきましたが、生きる答えは「愛と感謝」にあるのではないかと思います。
「愛される」ことには、相手の事情も絡みますが、「愛する」ことはいつでも、自分からできます。
人が生きていることが素晴らしいのは、それがその人の祖先の「愛の連鎖」の結果であるからです。
子供を持たない人には想像がつきにくいかもしれませんが、、、、。
「親の子に対する愛情」というのは、途方もなく大きく、深いものがあります(動物に備わっている本能でしょうか)。
昔、ハウスメイカに勤めていた時、私の尊敬するT所長が、「成功を維持できるかどうかは、『感謝の気持ち』を持てるかどうかだ」とおっしゃっていました。
これ、私、実感してますよ。
私が一時的に成功できても、それを維持できなかったのは、「感謝の気持ちの欠如」が原因だと痛感しております。
幸せになれるかどうかの分かれ目は、「感謝の気持ち」を持てるかどうかじゃないですかね??
「俺が貧乏(不幸)なのは。社会(政治、親、上司、妻、会社)が悪い」とか。
※貧乏だからと言って、不幸とは限りません。
「俺が釣れないのは、釣り場(道具)が悪い」とか。
言っている人って、確実に「不幸」じゃないですかね。
そして、その原因は、ご自分で作っているのでは?
どうして、そういう思考パターンになっちゃうんでしょうね?
同情はしますが、共感はしません。
気づいて欲しいとは思いますが、これは本人の心の問題なので、どうすることもできません(自分の考えを述べるにとどまります)。
ただ、、、。
私が不利(説得力がない)のは、私が、親や配偶者に、とても恵まれている(恵まれ過ぎている)ため、「お前は特別だろ」と言われても、返す言葉がないところです。
大学時代から、言われてましたよ。
私が何か言っても。
「お前は、親とか、家庭教師先の親御さんや生徒に恵まれ過ぎているから、そんな甘い考えなんだ」と(←人を信じ過ぎるところはあります)。
また、新宿の会社に勤めている時も、「哲人さんは特別なので、夫婦関係に関して意見をもらっても、参考になりません」と言われました。
こればっかりは、、、、。
でも、こう言ったことに恵まれている人とそうでない人って、どこで差がつくんでしょうかね、、、?
何か法則性が見出せるといいのですが。
私が、ありのまま、思いの丈をこのブログに認める(←「したためる」と読みます)ことにより、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。
このブログの読者皆さんが、「恵まれている」人になればいいですね。
そのために、自分ができることはなんでしょうか?
「恵まれていない(と自分が思っている)」人でも、自分の人生に何かいいところを見つけられるといいですね。
皆さんが、「愛と感謝」に満ちた日々を送れますように。
それでは。
釣哲人
<Look!>
応援のポチをお願いします!
あなたがポチをすると、当ブログの順位が上がります。
当ブログの順位が上がれば、より多くの方にお楽しみいただけます。
執筆者のモチベーションが上がります。
執筆者のモチベーションが上がると、更新頻度が上がります。
更新頻度が上がれば、、、あなたをもっと楽しませられるかも!?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
