なぜ、「協調性が大切なのでしょうか?」
一緒に考えてみましょう。
学校教育の目的は、「学力の習得」以上に、「集団生活に馴染ませる」「社会性(=協調性?)を育む」ことが大切だと言われますよね。
時代背景から考えてみましょう。
この考え方は、戦時中の「富国強兵」制度の流れを汲んだものではないでしょうか?
「みんなが同じ方向を見て、力を合わせて進む」。
確かに、敗戦国となって、何もかも失った日本が復活するのに必要なのは、一致団結して、国を復興させる事だったのかもしれません。
国がまともでなければ、食べていくことすら難しいでしょうから(いまだに、そんな状況にある国も実在します)。
大体、バブルの時代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われた時くらいまでは、それが非常に上手く行っていたと言えるでしょう。
私の父親の世代が生産人口の中心だった時ですね。
何もしなくても、日本のGDPが7倍になる時代でした。
だから、偉くなる人に求められることは、「何もしないこと(前例を踏襲すること)」でした。
国自体が上りのエスカレータに乗っているのですから、余計なことをする必要がない、むしろ余計なことhしない方が良かったのです。
人口も増えるし、人口構成のピラミッドも、綺麗な三角形(底辺が大きい)でしたから。
少し横に逸れますが。
父親は、大学時代、ラグビー部でした。
母親(私にとっては祖母)からは、「団体スポーツをやりなさい」と言われたそうです。
なぜ?
協調性を育むためでしょうか(笑)。
同じ話を、いとこから聞いたことがあります。
ところが、、、。
どこだったか、関西の方の名門校(高校)のバスケットボールの主将が、監督のパワハラを受けて自ら命を絶った事件がありました。
これって、、、。
絶対服従を強いられ、チームスポーツで周りにも迷惑をかけられない、責任感の強さが起こした悲劇ではないでしょうか。
同じ部活にいた、2年上の先輩が、ボクシングの記事に投稿していました。
「次にやるとしたら、絶対に個人競技を選ぶ。ボクシングなんて、最高!」と。
チームスポーツの弊害がわかっているのでしょう。
高田純次並のテキトー男と呼ばれた私だって、大学時代、「副将」に選ばれて、部活を辞めづらくなりましたから。
チームスポーツであれば、尚更でしょう。
さて、「協調性が大切」と唱える人は、その理由を、時代背景も絡めながら、論理的に説明できるでしょうか?
これ、意外とちゃんと説明できる人、少ないと思うんですよ。
「何となくそう感じていて、何となく人にもそれを要求する」だけで。
「人は一人では生きていけない」って、当たり前です(笑)。
協力し合うこと必要なのは、当たり前です。
世の中、分業で成り立ってますからね。
だからと言って、本来個人の選択分野である「協調性の匙加減(取り入れ具合)」にまで口を出す権利はあるのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
長くなったので、今日は一旦ここで締めます。
それではまた。
続編を気長にお待ちください。
釣哲人
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